心配と不安にさようなら
仙台市青葉区幸町と泉区将監で子連れオッケーのヨガクラスを開催している、仙台ヨガ部のHirokoです。
「心配」「不安」というワードの中に生きていることに気づいた続き…。
以下、「心配」「不安」と思われていたこと
・息子のお肌カユカユ
・息子の喘息っぽい咳
・息子が何度言っても同じことをやる
・私の子供たちへの接し方が子供たちの心に影響してないか
・旦那さんのハードワーク
・旦那さんの体調(驚くほど体がバキバキ)
・ママ友が子育てに苦しそう
・やりたいことが終わっていかない日々
など、これ以外にもくっだらない細かいコトがあったと思います。
自分が「心配」「不安」に意識を置いているから、またそういうことが増える。
そして、どんなに心を向けても良かれと思っても、自分以外の人に私の思いを寄せていくのは、愛ではないのかもしれない、ということにも気づき。
人それぞれのスピードでタイミングで学びが訪れる。それをただ見守り、どんな状態でも愛を送ることは私の学びでもあるんだと思う。
心友が私に教えてくれた。
「世界はあんたを愛してるから。愛を選択して。ごちゃごちゃ考えずにただ選ぶだけだよ」
たとえ…
理不尽な怒り方をしても
人に優しくできなくても
旦那さんにあたっちゃっても
ご飯作るのめんどくさくて出来合いのものでも
掃除しなくても
洗濯しなくても
自分ばっかり美味しいもの食べても
世界は私を愛してる。私は大丈夫。
これまで、「ありのままの自分を受け入れる」というフレーズには何度も出会ってきた。けれど、未だ受け入れられずにここにいて、きっと子供たちのありのままを受け入れられずにいるような気がする。
だから、自分が受け入れられない自分に出会うと、そうじゃない自分になりたい、と理想の自分を描いて、またそうじゃない自分に出会ってガッカリして…。そんなループの中にいた。
怒っては、「怒らない自分になりたい」と思う。
怒らずにいられた日は花マル、怒った日は反省DAY。
ホントはそうじゃなかった。
どんな自分も愛されてるから、自分も愛を選びます、と決めるだけ。
意味がわかんない、誰に愛されるの?愛って何だ?こんな私が愛されるわけない、ごちゃごちゃ考えない!選ぶと決めると不思議と軸が見える。
不安や心配に思っていたアレコレが、どっちでもよくなる。
これが「ありのままの自分を受け入れる」ってことだったんだ、と腹にストンと落ちた。
自分の言葉に「心配」や「不安」が見えたら気づくようになった。それってホントに心配すること?不安なこと?実際はそうでもないことがほとんど。もうやーめた。心配の中に生きるのは。
きっと私はまた理不尽な怒り方をするかもしれない、たぶんする。
でも大丈夫。
旦那さんも子供たちも大丈夫。私なんかよりもずっと大きい愛に包まれているんだから。私たちはみんな愛の元に産まれてきたんだから。それを信じて選んでいこう。私が愛を選び続ければ、家族や大切な人たちも大丈夫!
この気づきに導いてくれた心友よ、ありがとう。
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